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身延大乗結社
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関戸久妙 半生記

1.夫の死から、雛鶴神社の再建を決意

2.次々とあらわれた神仏のメッセージ

3.孤独と不安からの出発

4.身延山での修行

5.七面天女のお姿を霊視

6.木花開耶姫のお姿、聖徳太子との出会い

7.木花開耶姫之図と御本尊、七面天女之図が完成

8.心願成就、雛鶴神社の再建

9.すべての法縁を悟る

 
8.心願成就、雛鶴神社の再建

 

 信者の方々のお力により、御本尊も、木花開耶姫の軸も完成し、七面天女の軸も完成も間近という時に、雛鶴神社の再建のために500万円というお金も用意することができました。

 その時の計画によれば、資金目標三千万円、昭和63年9月完成予定ということでした。しかし、残りの2500万円という大金を、無生野部落の方々だけで集めていただくのは、大変なことだろうなと思いました。

 そんなことを考えて心配していた頃、驚くような吉報が飛び込んでまいりました。

 経ヶ岳の塩谷上人から、私が雛鶴神社の再建に苦慮していることをお聞きになった富士の普明教会の方が、信者の方々からご寄付をお集めになり、一千万円という大金を直接、無生野部落に届けて下さったというのです。

 私が作らせていただいた木花開耶姫のお軸の写真をお届けしたという、ただそれだけのご縁で、ここまでしていただくなど、並大抵のことではありません。

 私は体中が震えるような感動の中で、これこそ木花開耶姫の力に相違ないと思いながら、普明教会の皆さまへの言葉には尽くせぬ感謝の念で胸がいっぱいでした。
 これがきっかけとなり、無生野部落でも、次々と寄付が集まり、当初の目標を遙かに上回る金額が集まりました。

 

 「資金五千万円、着工昭和62年10月、昭和64年6月30日完成予定」という返事をいただいたのは、それから間もなくのことでした。

 またもや 6月30日──。

 私は、その日付に、並々ならぬものを感じました。私の心願成就の日についてまわるこの日付。木花開耶姫の軸の完成の始まって、七面天女の軸の完成の日、そして、いま雛鶴神社の完成の予定日までもが、この日になろうとは。
 私は、これこそ木花開耶姫のお力が働いている証であると、はっきり確信いたしました。

 しかし、木花開耶姫が雛鶴神社の再建に、ここまで力を下さるのはなぜか。普明教会に話して下さったのは、塩谷上人であることを考えると、日蓮大聖人の力も働いていることがわかります。お二人が、力を合わせて雛鶴神社をお助け下さった理由は、なんなのか。まだ、当時の私には、全ての法縁が見えず、わからないことばかりでありました。

 

 ある晩のことです。祭壇の前でお経をあげていますと、
「鎌倉妙法寺へ行け」とだけお告げがありました。
 妙法寺は、日蓮大聖人が松葉ヶ谷の法難に遭われた草庵の跡といわれています。さっそく妙法寺に行きますと、護良親王の大きな碑が奥にあるのを見つけて驚きました。

 その碑文には、はっきりと「当山第五世日叡上人御尊父」と書かれているではありませんか。なんと、護良親王のお子さまの一人が、妙法寺のご住職だったのです。

 

山伏姿で吉野にむかう護良親王

山伏姿で吉野にむかう護良親王

 

 身延山で修行していたとき、師匠の疋田上人から、
「護良親王は法華経を信仰していらした方だから、あなたの心願である神社再建はきっと叶うよ」と言われていたのを、その碑を見ながら思い出しました。

 ところで、京都の妙顕寺は、護良親王が元弘三年、壱岐島へ流された後醍醐天皇の京都還幸を日像上人にお願いして祈願し、その大願が成就したので、後醍醐天皇に建てていただいたお寺だということを、妙顕寺のお上人に伺ったことがありました。

 護良親王は日像上人のもとで法華経を信仰していらした。そして、その証拠には、お子さまが日蓮宗のお寺の住職になられていた。だからこそ、雛鶴神社を再建したいと思ったとき、日蓮大聖人が私に法華経の道を導きになり、守って下さったのでしょう。

 しかも、文永六年、日蓮大聖人が法華経を埋経されたのは、木花開耶姫がご神体である富士山です。それで、木花開耶姫もまた、法華経に帰依なさり、日蓮大聖人の法縁につながる者たちを、お救い下さろうとしたのでしょう。

 

 なんと大きな法縁、なんときめ細かなお導きであることか。
 私は、いまこそはっきりと、日蓮大聖人、日像上人、そして木花開耶姫のお三方が一体となって、法縁につながる護良親王、雛鶴姫、お子さまの葛城宮陸長親王の三柱をご神体とする雛鶴神社の再建に、私というものを使って、お力を示して下さったのだということがわかったのです。

 

 10月22日、普明教会の方々もいらして、雛鶴神社竣工祝賀会は盛大に行われました。私も信者の方々と参加して、夫が亡くなってから、この日を迎えるまでの33年間のことを思うと、目頭が熱くなり、感慨無量というほかはありませんでした。

雛鶴神社

雛鶴神社

 

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