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身延大乗結社
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関戸久妙 半生記

1.夫の死から、雛鶴神社の再建を決意

2.次々とあらわれた神仏のメッセージ

3.孤独と不安からの出発

4.身延山での修行

5.七面天女のお姿を霊視

6.木花開耶姫のお姿、聖徳太子との出会い

7.木花開耶姫之図と御本尊、七面天女之図が完成

8.心願成就、雛鶴神社の再建

9.すべての法縁を悟る

 
4.身延山での修行

 

 昭和37年1月27日、家をあとにして、身延山に向かいました。
 修行といいましても、何かアテあるわけではありません。波木井の知人宅に着きますと、その日の夜中に、一人で身延山のご廟所へ一時間ほどかけてお参りにいきました。

 翌日は、思親閣に登って、本堂で祈りました。
 この思親閣は、日蓮大聖人が、故郷から海苔を贈っていただいた折りに、山頂からはるか房州をのぞみ、故郷のご両親を偲んで報恩のご回向を捧げたところです。

  私はといえば、実母、姑と二人の母を捨ててお山にあがりましたのに、修行の場も見つからず、といって今さら村にも帰れず、先のことを思うと、涙があふれて止まりません。

 「私は自分のために信仰に入ったのではございません。村の平和のために、神社を再建して、少しでも世の中のお役に立ちたいと信仰しております。どうぞ、私に、修行の場を与えて下さい」
 そう、お願いしました。

 

 しかし、ありがたいことに、この思親閣の別当様のお許しをいただいて、その後、二年間、おいていただくことになったのです。

 私にできることは、お給仕しかありません。それだけでも一所懸命にやらせていただこうと思いましたが、なかなか思うようにはいきません。
 給仕行学といって、三度の食事の支度は、最初の修行のひとつなのですが、山の上に運ばれてくる限られた材料で、毎度の精進料理を工夫するのは、田舎の主婦でしかなかった私には、とても大変なことでした。

 それでも、まわりの方々に、助けていただきながら、裏に畑を作ってとれた野菜を漬け物にするなど、少しずつ自分なりに工夫できるようになっていきました。

 毎日、全国から集まってこられる、多数の信者の方々にお会いしながら、疋田上人の説法を聞かせていただけたこの二年間は、私にとって大変充実した日々でありました。

 

疋田上人

疋田上人

 

 夕焼け富士の素晴らしさ、その夕焼けがが山々に反射してあたりが薄紅色につつまれ、杉木立が黒く浮き出る姿は、また格別の美しさでした。

 そして、五月のある月夜の晩に、お参りしようと外に出たとき、まわりの景色を見て、私は、はっとしました。

 ここでの修行は、不安と孤独で死ぬことさえ考えていた私に、神仏がずっと以前から用意しておいて下さったことなのだと、そのときはじめて私は悟ったのでした。

 

富士と畑

 

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