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身延大乗結社
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関戸久妙 半生記

1.夫の死から、雛鶴神社の再建を決意

2.次々とあらわれた神仏のメッセージ

3.孤独と不安からの出発

4.身延山での修行

5.七面天女のお姿を霊視

6.木花開耶姫のお姿、聖徳太子との出会い

7.木花開耶姫之図と御本尊、七面天女之図が完成

8.心願成就、雛鶴神社の再建

9.すべての法縁を悟る

 
7.木花開耶姫之図と御本尊、七面天女之図が完成

 

 昭和55年、いよいよ自分の道場を持つことができ、やっと、木花開耶姫の絵の完成に向けて力を注ぐことができるようになりました。
 
武田先生と共に、あらゆる文献を調べ、四季の富士を見に行き、私が木花開耶姫のお姿を感得した富士山経ヶ岳の常唱殿、身延山にもお参りして、ついに三年後に、絵が完成しました。

 

 また、これを機に、私は私の御本尊を作らせていただこうと決心しました。そのご本尊は、昭和55年10月25日、夫の命日に、仏師貞光師にお願いすることになりました。

 ご本尊の形は、真ん中に南無妙法蓮華経、向かって左に釈迦如来、右に聖徳太子。その前面に、日蓮大聖人です。

 これは、法華経のなかにある「欲令衆」と、聖徳太子の十七条の憲法の心、そして日蓮大聖人の立正安国の心が、ひとつになってはじめて、「一天四海皆帰妙法」が実現すると考えたからです。

御本尊(日蓮聖人)

御本尊(日蓮聖人)

 

 そして、昭和56年2月21日、御本尊が完成いたしました。そして、同年、6月30日、「霊峰富士木花開耶姫之図」が完成しました。

 長い間かけてやっとひとつ、神さまとのお約束を果たすことができたと思うと、私は嬉しくて、涙が止まりませんでした。

 そして、昭和62年6月30日、奇しくも木花開耶姫の時と同じ日に、「七面天女弁財天来迎之図」は完成いたしました。


 これで、やっと私は、神さまとのお約束の二つ目を果たすことができたのでした。
 お約束を果たせた私へのご褒美だったのでしょうか。その頃、私は、神さまの力添えとしか思われないような幸運に恵まれ、長年の心願が成就する兆しを次々といただいていくのでした。

 

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