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雛鶴神社

雛鶴神社(ひなづるじんじゃ)

 雛鶴神社とは、雛鶴姫を祀った神社のことです。雛鶴姫は、南北朝時代、建武二年(1335年)7月、後醍醐天皇の皇太子、塔宮護良(もりよし)親王が、鎌倉で悲運な最期を遂げられたとき、親王の首級を抱いて逃れた方です。
  雛鶴姫は、その時、すでに親王の児を身籠もっており、秋山村のはずれでお産をしましたが、まもなく母子共々亡くなられたという伝説があります。

 また、その20年後、護良親王の王子、綴連(つづれの)王が、戦乱の中を亡命して、この地に来られ、村民の話に不思議な因縁を感じ、村に住み着いて73歳の天寿を全うしました。そこで村では、護良親王、雛鶴姫、綴連王を神に祀り、雛鶴神社を創建しました。

 ところが、いつの日か、その神社は小さな祠があるばかりで、皆からは、忘れられておりました。
 私は、秋山村に、なんとか平和を取り戻したいと真剣に願っておりましたので、これは、どうしても私の手で、雛鶴神社を再建せねばと、このとき深く決意をしたのでした。

 私は、いまこそはっきりと、日蓮大聖人、日像上人、そして木花開耶姫のお三方が一体となって、法縁につながる護良親王、雛鶴姫、お子さまの葛城宮陸長親王の三柱をご神体とする雛鶴神社の再建に、私というものを使って、お力を示して下さったのだということがわかったのです。

 

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